
こんにちは。
起立性調節障害歴8年の鳴屋ひるねです!
わたしは、中学3年生の時に起立性調節障害と診断されました。
今回は、当時の症状と、どうやって診断に至ったか。そして、悪化を経た後の回復までをお話したいと思います。
長年病気と付き合ってきたからこそ書ける、
「こうしておけばもっと早く治ったかも」「ここは心配しなくても大丈夫だったな」
といったこと解説していきます。少しでも参考になれば幸いです。

症状や環境はそれぞれ違うので、あくまで「参考」にね!
鳴屋が起立性調節障害と歩んできた道のりはこちら
- 発症前昼寝が増える、ソファで立ちくらみ
病院へGO 起立性調節障害の診断
- 1年後少し回復
「もう治るじゃん!」と思っていた
- 2年後超悪化
学校に車で週2通い
- 3年後高校退学
高卒認定、大学受験をする
- 4年後大学入学・休学・復学
微熱が続く
- 5~7年色々あって…
「本当に」興味をあることをしたり、良いカウンセラーさんと出会えたり。
- 8年後心が良くなって、体調も良くなる

それぞれ解説します!
発症するまで
特に病弱というわけでもなく、運動は好きだけど得意ではない。そんな子でした。
ただ、激しい運動をすると熱を出したり、長期休みが始まったとたんに熱を出すという、
頑張りすぎてる感じ
は、今思うと随所に見えていたと思います。
発症:中学3年生の終わり
鳴屋が起立性調節障害を発症したのは、中学3年生の夏休みの頃でした。
夏休みの最初の頃は忙しくしていて、それが一段落した頃からそれまではしていなかった「昼寝」を毎日するようになりました。
2年生の時までは、
午前中:机に座って、課題や趣味をやる
午後 :テレビを見たりゆっくりする
というのが通例だったのですが、中学3年生の夏休みは
朝からテレビの前でぼーっとして、気づいたら昼寝をしてる
という状態になりました。
その症状が1か月ほど続いた頃に病院へ行き、「起立性調節障害」と診断されました。
なぜ気付いたか
鳴屋の病気に気づいたのは母でした。
・突然昼寝が増えたこと
・ソファから立つときにも立ち眩みをしていたこと
それを見て、「なにかおかしい」と思ってネットで検索をしたところ、「起立性調節障害」という病気がヒットしたそうです。
薬の話
頭痛がひどかったので、頭痛薬となにかの薬をもらっていました。
(昇圧剤(血圧をあげる薬)をもらったという話を聞いたことがありますが、鳴屋には処方されませんでした。)
頭痛薬は頓服(痛い時に飲む)ものだったのですが、次第に「薬を飲んでいないと痛む」ようになったため、ほぼ毎食飲んでいました。
後ほど詳しく述べますが、頭痛薬をやめて漢方に変えたところ、常に頭痛がすることはなくなりました。
勉強はどうしていたか
起立性調節障害を発症すると、「勉強に追いつけなくなる」という話を聞くことがあります。
わたしも授業に集中できなかったため、ある時期から
(授業中は教室にいればOKになるように)「予習」を始めました。
詳しいやり方は以下の記事に書いてあるので、体調的にできそうな方はやってみてください。

ぜったい無理はしないでね!
高1:少し良くなる
高校生になり心機一転したのか、中3の後半は定期テストに力を入れなかったのが良かったのか(これはかなりあると思います)、
高校1年生の時はそこそこ調子が良く、「このまま治っちゃうんじゃない?」と思う時もありました。
朝早く委員会の活動に向かったり、部活でも楽しく過ごしました。
……ですが、そんな中でも、着実に疲れはたまっていたようです。
春の時点で肌に発疹ができたり、冬には「帯状疱疹」という病気を発症しました。
帯状疱疹にかかる
帯状疱疹はお年寄りに多い病気ですが、免疫力が関係しているため子どもでもかかることがあります。
インフルエンザとは違い出席停止にはならないのですが、帯状疱疹は
免疫力が下がっている=疲れているとき
に発症する病気のため、わたしは自主的に休むことにしました。
1週間ほど布団にくるまったまま、症状が治まるのを待ちました……。
ちなみに、

丁度テスト前の期間に発症したので、そのままテストは欠席しました!
(ですが鳴屋は、せっかく休んだのに1日10時間も英語の勉強をしていました。
もし学校を休んだ時は、そんなことしないで、超のんびり楽しく休んでください。)
高2:良い→急降下
高校2年生になり、受験のために新しい習い事を始めました。
その際、部活の顧問とひと悶着あったり、若干のダイエットを経たりしつつ、
とにかく練習を頑張って、習い事に向かっていました。
こちらの記事を読んでくださった方は、わかるかと思います。

この病気、頑張りすぎると悪化するんです!
夏休みの宿題ができない
夏休みに入ったとたん、12時間以上寝続ける日々が続きました。
夕方の15時、16時に起きることもざらで、ほとんど何かをした記憶がありません。
そのため、夏休みの宿題もほとんどできず、文字数の足りないレポート1つだけをもって学校に行きました。
しかも、頭が回っていなかったのか、仕方ないと思ったのか、

全く焦っていませんでした!
ですが、こんなことは本当に初めてだったんです。
わたしはそれまで、夏休みの宿題を出さなかったことは1度もなく、遅刻すら(電車の都合以外で)したことがありませんでした。
遅刻しそうになると心臓がバクバクするくらいの、超真面目っ子だったのですが……
車で週2登校
そんな夏休みを経て、高校2年生の2学期。
毎日遅刻ギリギリで、午後から登校する日も増えました。
そして最終的に、
母に送ってもらって、週に2,3回登校
が基本になりました。(出席日数は母が計算してくれていました…!)
精密検査/病院を変える
そんな状態が続いたまま、冬休みに。
「身体の色々な場所が痛い」という症状があったので、大学病院でCTなどの精密検査を受けました。
色々な検査の結果、わたしは「コルチゾール」という、ストレスに対抗するための物質がほとんど出ていないことが分かりました。
作り出す能力自体はあるのですが、結局、
「自律神経の不具合で分泌されない」
という結論に。

結局自律神経かい!
……検査の後、漢方を処方してくれる内科、漢方内科に通うことになりました。
そこでまず、体調に大きな変化が起こります。

……そういえば、頭が痛くない?
頭痛が治る
それまで「頭痛薬を飲んでいないと痛い」レベルだった慢性頭痛が、気づいたら無くなっていました。
薬を変えた当初はかなり痛くて、授業中も「うわ~!」と頭を抱えていたのですが、気づいたときには症状が消えていました。
個人差はあると思いますが、漢方内科、おすすめです!
学校をやめる
鳴屋は、高校3年生になる前に退学をしました。
高校2年生の冬休みも3学期も体調は変わらず、単位が取れるギリギリを攻めていたので、
「これをもう1年続けても、ただ疲れ切って大学に行けなくなるだけだ」
と思ったからです。
そしてここから、わたしの引きこもり生活(仮)が始まりました!
余談:慢性疲労症候群
おそらくこの頃の症状は、「慢性疲労症候群」に近かったのではないかと個人的には思っています。
慢性疲労症候群の診断基準の中に「起立性調節障害」があり、その他の診断基準は「6か月以上の強い倦怠感」などです。
気になる方はお医者様の記事をどうぞ→[コラム] 慢性疲労症候群の診断基準とは?
高3:退学して引きこもり(仮)
学校に行かなくなっても症状が良くなるわけではなく、相変わらず睡眠時間が長い時期が続きました。
気持ち悪い症状も強く出て、それを抑えるために

なんか永遠にコーンフレーク食べてるなぁ…
という時期もありました。
食べてる時だけは、気持ち悪いのが落ち着くんですよね。
外出は病院だけ
そして、気づくと外出するのは病院がある時(と、たまに受験対策の勉強に行く)だけでした!
とはいえ、もともと外出をする方ではなく、(これは後で気づいたことなのですが)用事がある時以外、外に出たことがありませんでした。
絵を描いたり、歌を歌うのがことが好きなのもあり、ある日ふと、

もしかして、月1しか外出してない…??
と気づいた、という感じでした。
なので鳴屋は、引きこもり(仮)を自称しています。
高卒認定を取る
高校2年生までの単位はもらえていたので、唯一受ける必要があった”地理”を独学で勉強しました。
「高卒認定ワークブック」という教科書を使って、
「一通り勉強をする⇨最後のテストをやる⇨苦手な部分をひたすら覚える」
と勉強して、無事1回で合格できました。
……石の種類とか化石の年代って、覚えるのすごく大変じゃないですか?大変ですよね。大変でした。
受験勉強
集中力と先を見通す力がとことん落ちていたので、受験の準備はほとんどできませんでした。
2週間前に過去問を3~5年分ほどコピーして、
「解く⇨間違えた部分の答えを見て勉強する⇨すべて解きなおす」
を繰り返しました。
幸い、わたしの志望先は2科目受験で受けられたため、

無事1回で合格することができました!
大1:オンライン授業だけど…
そして、大学生活が始まりました。
とはいえ、当時はコロナ真っただ中で、授業は全てオンラインで行われました。

オンラインなら余裕っしょ!
と思っていたのですが……
発熱
これは、「人生の大転換その2」で症状が寛解するまで続いたことなのですが、
学校が始まって1か月すると微熱が続く
ようになりました。
実は、オンライン授業ってかなり疲れるんです。当時はまだ授業体制も整っておらず、
「必ずカメラをオンにしないといけない」
「マイクを間違ってオンにしたら大変なことになる」
という、ドキドキハラハラの授業でした!
そんな授業を1年間受け、疲れ切った私は大学を休学することにしました。
(後半は単位数も減らしたのですが、それでもかなり疲れていました)
大学を休学する
大学を休学して、何をしたか。
……正直あまり覚えていないのですが、絵の勉強をしたり、プログラミングの勉強をしたりと、比較的好きなことをしていたと思います。

ただそれも、「頑張って」勉強していたんだなぁと今は思います
休学は半年の予定だったのですが、体力が回復せず「まだ無理かも」ということで1年に延長。
そして、「ようやく復学できる!」という時に、家庭で起きた問題により思考力がぶっ飛びました。
毎日ぼーっと暮らすようになったので、もう半年休んだところ…?
両親の別居、引っ越し
ここで、人生の転機その1が訪れます。両親が別居することになったのです。
わたしは昔から父が怖く、家でも圧迫感を感じながら過ごしていました。
ですが、それが普通のことだったので、「普通じゃないし、それが体調に影響を及ぼしている」ことに気づいていませんでした。
別居をしたことでようやく、
・自分の家がよろしくなかったこと
・私の心身は結構な影響を受けていたこと
などに気づき始めました。
大学復学
鳴屋が復学した頃にはもう、一部の授業以外はオフラインの授業になっていました。
ですが案の定、「学校が始まって1か月で微熱が続く」状態になったため、「オンラインで授業を受ける」ことにしました。
当時はまだコロナが落ち着いたわけではなかったので、申請すればオンラインで授業を受けられたんです。
そのおかげでどうにか、3期目も無事に終わることができました。
怒涛の回復期
それから、また1年間休学をしました。
初めの頃は昔と変わらず、色々なものに追い立てられて、焦って、の日々を繰り返していたのですが、
5月に、人生が180度変わる転機が訪れました。
映画、離婚、オタ活、カウンセリング
5月に、ある映画を見に行きました。
見た目は子どもの名探偵が毎年やっている、あれです。
そしてその帰りに、UFOキャッチャーをプレイしました。
わたしはゲームが大好きで、ずっとやってみたかったんです。
でも、今のUFOキャッチャーは、お金を使わないとなかなか取れないからと、ずっと手を出せずにいました。
でもその日は、

せっかくだしやってみよう!
とかなり積極的にプレイして、フィギュアとぬいぐるみを持ち帰ることができました。
ちなみに、その日は両親の離婚が受理された日でした。
その後、わたしはオタ活を極める1か月を過ごします。
それと同時に、良いカウンセラーさんと出会うことができたり、その帰りに気になるものを食べに行ったりして、
やってみたいことをやる、気になったものを食べる
という体験をたくさんしました。
そしてこの頃から、日に日に色々なことが改善していきます。
精神状態は圧倒的に変わりましたし、カウンセリングに通ったり色々なお店を見て回るうちに、少しずつ体力がついていきました。
詳しくはこちらに書いてあります⇩
心と体、先に良くなるのは?
わたしの場合、体調よりも心が先に回復しました。
・「遊ぶこと」「休むこと」「楽しい気持ち」を知った
・「嫌なもの」から離れることができるようになった
その結果、
・体調を守れるようになっていった
・店に行ったりカウンセリングに通うことで、体力がついていった
と、体も徐々に楽になっていきました。
そしてある日、自分の体の変化に気づくことができた事件が起きます。
(ちなみに、この気持ちの変化は、進路にも影響しました。)
階段を登ると…
その日は快晴でした。
健康診断に向かうと突然、エレベーターのない建物を「5階まで登ってください」と言われました。

駅の階段でも頭痛くなるのに無理だろ!!
と思いつつ仕方なく歩いていると、

……

…………

…………あれ?
なんとその日は、
頭が痛くなりませんでした!!
(息切れも、一般の人よりは激しいけど昔よりは全然ましでした!)
当事者の方にはわかってもらえるかと思いますが、基本的に階段を1階分登るだけでガンガン頭痛がするんです。
でも、その日はそれが一切なく、「気持ちが変わるだけでここまでよくなるんだ?!」と驚きました。

本当に嬉しくて、病院の先生にも報告しました!
ゆっくり復学:自分を大切に。
その後復学するにあたって、これまでとは明らかに違う部分が現れました。
それは、
授業を取り過ぎないという決断ができたこと
です。
そして、学校に自分の足で通いつづけることができました(週3程度)。
それでも1度微熱が続く時期がありましたが、その際も、
・学校を自分の判断で休めた
・「自分を大切にする」「自分のままでいていい」ことを知れた
ということもあり、心身ともに更に楽になりました。
また、

全休の日に遊びに行くこともできましたー!
また少し頑張り過ぎた、けど…?!
…休むことができるようになったのもつかの間。
心と体が少しフリーになったことで、次の学期は新しいジャンルの授業を取ってみたり、バイトをやったりしました。
その結果、学びはあったけれど、学期末にインフルとコロナにほとんど連続でかかりました…。
40度近く体温が上がって大変だったのですが、

あぁやっぱ頑張り過ぎたか(笑)
と受け入れることができました(笑)
その前向きな受け止めもあってか、次の学期ではまた体調がグンと回復して、
ほぼフル単+運動系の授業を2つ取った上、休んだのは2,3日
でした!
本当に自分でも驚きなのですが、(家に帰って床で2時間寝てる時もあったけど)体力がかなりついて、メンタルも今までほどやられませんでした!
特に大きな出来事があったわけではないのですが、明らかにこれまでとは体調が違って
「病気が治りつつある」
のを強く感じました。

今考えると、なんでそんな時間割にしたんだって思うけどね…
次の学期では、しんどい授業はなくしてほどほどに単位を取りたいと思います。
いまだに「自分に程よい時間割」のつくり方はわかっていませんが、少しずつは成長できてる…のかなと思います。
やっぱり、経験してみて「ダメだったか」「これはいけるんだ」と学ぶのが人生なんでしょうね…!
まとめ:大切なこと
ここまで、鳴屋の長~~~い経歴を読んでくださった方、ありがとうございます!
お気づきの通り、この記事の結論はこのサイトでは定番の物です。
起立性調節障害を直すのに必要なことは、

とにかく、頑張らないことー!
(頑張り「すぎ」ないこと)
わたしの症状が改善したのは、
・楽しい気持ちを知ったこと
・自分のままでいいと知れたこと
・休んでいいと思えるようになったこと
のおかげでした。
今でもまだ、「頑張らないと」という気持ちが湧いてくることもありますが、そのたびに、

自分が楽しいから、これをやってるんだ。

人のスピードは人のもの。
自分は、自分の中で前に進めればいい。
と、思い返しています。
(2つ目の考え方は『嫌われる勇気』を読んでようやく納得できた言葉です。
『嫌われる勇気』は、「万人におすすめできる!」という本ではないですが、とても良い本なので、以下の記事を読んで面白そうと思った方はぜひ読んでみてください!)
To be continued…
まだまだ、鳴屋と心身の旅は続きます。
ですが、「もう一生治らないのでは?」と思っていた体調やメンタルが、ふとしたことで劇的に変わることを経験した今なら言えます。

心も体も、いつか絶対に大丈夫になる!
ほんとに、誰でも、絶対に。
相談したいこと、聞きたいことなどがあれば、鳴屋のマシュマロまでどうぞ(匿名で質問ができます)
こんな日が来るなんて、本当に想像できませんでした。
10年以上ずっと八方塞がりだったのに、気が付いたら檻の外に出ていました。
みんなにもぜひ、この気持ちを知ってほしい。だからわたしは、このサイトに記事を書いています。

